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旭川地方裁判所 昭和30年(ワ)121号 判決 1964年3月31日

原告 堀内道範

被告 国

国代理人 中村盛雄 外二名

主文

被告は、原告に対して、三二三、一六四円及びこれに対する昭和三〇年三月一五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを二分し、その一ずつを原告及び被告の各負担とする。

事  実 <省略>

理由

(争いのない事実)

訴外高橋悦治が国家地方警察旭川方面士別地区警察署東剣淵巡査駐在所に巡査として勤務していたこと、同巡査が昭和二七年一二月一日午後剣淵巡査部長派出所において、同所に任意出頭した原告を窃盗容疑の事実について取調べたことは、当事者間に争い

がない。

(暴行の事実の有無)

そこで、以下に、右取調の際高橋巡査が原告にその主張するような暴行を加えたか否かについて考えるに、成立に争いのない甲第六、第七、第九及び第一二号証並びに原告本人尋問の結果中には、原告の主張に副う原告本人の供述(以下右各証拠中の原告本人の供述を原告の供述という。)があるけれども、他方、証人高橋悦治の証言(第一及び第二回)とこれによつて真正に成立したものと認められる乙第六号証及び成立に争いのない同第一二号証によつて明らかなとおり、高橋巡査は、終始、原告に暴行を加えたことを強く否定する供述をしており(以下右各証拠中の高橋巡査の供述を高橋巡査の供述という。)、かつその供述内容が一見して明らかな矛盾や虚偽を含んでいるとも認められないから、右高橋巡査の供述を無視し、原告の供述から直ちに高橋巡査の原告に対する暴行の事実を認定することは困難であるといわなければならない。そこで、以下に、他の関係証拠をも併せて右暴行の事実が証拠上認定し得るか否かを慎重に検討することとする。

一、原告が取調室において自ら転倒した事実があつたか。

(一)  まず、成立に争いのない甲第八号証、乙第三、第五、第一〇、第一一、第一三、第一五及び第一六号証、証人伝住音吉の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第一号証、証人堀内三千弘、同伝住音吉、同鈴木誠(第一及び第二回)、同京藤勝一、同堀内キクヱ、同佐藤幸四郎、同野川栄松同相川正義、同大谷謙吉及び同高橋美智子の各証言、高橋巡査の供述並びに鑑定人諏訪望の鑑定の結果を総合すると、原告が本件昭和二七年一二月一日の午後七時過頃、原告が高橋巡査に連れ込まれ暴行を受けたと主張する前記巡査駐在所六畳間において倒れた姿勢で苦悶し暴れまわつていたこと、右の状況にあつた原告を巡査部長派出所の近所で開業していた医師大谷謙吉が診断し鎮静済を注射した結果、原告はようやく平静を取戻して睡眠状態に陥り、睡眠から覚めてから取調室でしばらく暖をとつたのち同日午後九時三〇分頃自宅に帰るべく巡査部長派出所を立去つたが、その途中再び苦悶状態を呈し始めたため、帰途が同じ方向であることから原告の後についていつた高橋巡査が原告を自宅に連れて行き介抱したこと、ところが、原告の症状は依然おさまらなかつたため、原告を引取りに右高橋巡査方に赴いた原告の母キクヱと弟三千弘が同夜のうちに原告を剣淵村国民健康保険直営病院に入院させたこと、しかし、原告は同病院においてもなお苦悶状態又は興奮状態を呈したため、同病院の医師は精神障害を疑がつて翌二日午後原告を前記キクヱ及び三千弘らの附添のもとに旭川市内の相川精神科病院に赴かせ、同病院に入院させたこと、ところが、原告は同病院においても間けつ的に苦悶状態又は興奮状態を示し、右状態がおさまらないまま翌三日同病院を退院し、旭川市内の厚生病院で二日ほど治療を受けたが、その頃から前記の状態はようやく落つきを見せ始め、他の者と会話もするようになつたこと、その後原告は再び剣淵村国民健康保険直営病院に入院し、しばらく同病院で治療を受けたのち退院したが、退院後も腰や背中の痛みなどの症状を訴えつづけるとともに仕事もせず無気力に日を過すことが多く、このため原告の家族は、北海道大学病院などにも足を延ばして原告の治療につとめたが、前記の原告の症状は全快しないまま現在にいたつていることがそれぞれ認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  ところで、冒頭に認定した、原告が巡査駐在所六畳間において、転倒した姿勢で苦悶していたことにつき、高橋巡査は、同日午後七時頃原告は、取調室において突如椅子から転倒し、苦悶の様子を見せて手足をばたばたさせたため、自分は、近所の大谷医師を迎えに行つたのち、当時その場に居合せた伝住巡査部長及び鈴木巡査と協力して原告を取調室とは玄関をへだてて棟続きの前記六畳間に運んだと供述しており、証人伝住音吉の証言とこれによつて真正に成立したものと認められる乙第一号証、成立に争いのない乙第一〇及び第一一号証における伝住巡査部長の供述(以下右各証拠中の伝住巡査部長の供述を伝住部長の供述という。)並びに成立に争いのない乙第一三号証及び証人鈴木誠の証言(第一及び第二回)における鈴木巡査の供述(以下右各証拠中の鈴木巡査の供述を鈴木巡査の供述という。)もこれと符合する。ただここで注意しなければならないことは、右時刻に原告が取調室で自ら転倒した事実が認められるとしても、そのことから直ちに、原告が主張するような高橋巡査の暴行はなかつたと結論ずけることは許されないということである。なぜならば、高橋巡査が原告を六畳間に連れ込んで暴行を加えたのち再び原告を取調室に連れ戻し椅子にすわらせているうち、右の事態が生じたとも考えられるからである。これに反して、もし右の取調室において原告が転倒した事実が認められないとするならば、高橋巡査としては、どのような経過から原告が六畳間において倒れた姿勢で苦悶していたかを説明し得ない結果となり、他に右六畳間の事態について格別の原因の考えられない本件にあつては、右の事態が、原告の供述する高橋巡査の原告に対する暴行によつてもたらされたとの蓋然性が強くなるといえよう。

(三)  ところで、右の、取調室において原告が転倒した事実については、次に指摘するように、若干疑問をさしはさむ余地がないでもない。すなわち、

(1)  高橋巡査及び伝住部長らの供述する、原告が取調室において転倒した位置は、原告が椅子に腰かけていた位置から斜前方に二、三尺はなれており、一見して、椅子から転倒してこのような位置に達するかについて疑問が持たれるのみならず、転倒した足もとにはストーブが、また頭部の左右には石炭箱及び茶の間への上り台がそれぞれ障害物として存在し、しかも壁ぎわから足もとのストーブ台までの距離はわずか五尺余りにすぎないのであつて(以上の位置関係については、検証の結果-第一及び第二回-参照)、このような狭い場所に人が倒れたとすることも、不自然であるといわなければならないこと。

(2)  高橋巡査及び伝住部長は、また、原告の腰かけていた椅子は、原告の転倒後倒れていたと供述しているのであるが、原告が前方に転倒したとするならば、果して椅子がともに倒れるかについては疑問があり、そうかといつて、原告が転倒後苦悶して暴れた際、椅子を足でけとばすなどして倒したとすることも、高橋巡査らの供述する、原告の倒れた位置からすれば問題があること。

(3)  高橋巡査は、原告が転倒したため大谷医師を迎えに行つて帰つて来、更に原告を六畳間に連れ込むまでの時間は一五分位あつたと供述している。もつとも、伝住部長及び鈴木巡査は、その間の時間は五分以内であると供述しているけれども、当夜巡査部長派出所に赴いた伝師大谷謙吉は、証人として、自分の家から巡査部長派出所までの距離は一町半位あり、派出所からの電話連絡を受けてから、同所に到着するまでの時間は五分ないし一〇分であつたと供述しており、右大谷医師の供述に前記高橋巡査の供述を併せ考えると、原告は、少くとも五分ないし一〇分取調室に転倒したままの状態であつたと認めるのが相当である。しかしながら、原告が転倒し苦悶の状態にあつたとしたならば、当時取調室にはストーブも備えつけられていたことでもあるから、火気の危険をも考えて一刻も早く他の部屋に運び去るなどの措置をとるべきではなかつたかと考えられること。

(4)  原告は、本件当日巡査部長派出所に出頭した際ゴム長靴をはいていたと供述している。ところが、前記大谷医師は、成立に争いのない甲第八号証において、同医師が派出所に赴いたとき、ちようど警察官が六畳間の上り口で原告の靴をぬがせていたが、その靴はカーキ色の防寒用あみ上げ靴であつたと供述しており、このことからすれば、高橋巡査らが故意に作為して、六畳間で倒れた原告を、取調室で倒れてそれを運んできたように作為し、たまたま六畳間入口付近にあつた原告以外の者の靴をはかせたのではないかとの疑いも持たれること。

(5)  転倒した原告を運ぶには、玄関をへだてて反対側にある六畳間よりも近い部屋があつたのではないかと思われること。

などの諸点である。

しかしながら、他方、本件においては右疑問の点を解消するのではないかと思われる諸点、すなわち、

(イ) (1) については、確かに倒れた位置は不自然であるけれども、そのような倒れ方をすることも有り得ないことではないと思われるし、また倒れた場所が狭いことについても、伝住部長が、原告は倒れたあと両足でストーブ台を押しつけたかつこうになり、そのためストーブ台が五寸位動いたと供述していることをも考慮にいれると説明がつかないでもないこと

(ロ) 次に(2) については、原告が腰を浮かして転倒せず、すわつたままの姿勢で前方に転倒した場合は、椅子がともに倒れるということも有り得ると思われること

(ハ) また、(3) については、伝住部長及び鈴木巡査は、ともに原告が転倒後手足をばたばたさせて暴れまわつたため二人で押えつけていたと供述しており、同人らが原告を倒れたまま放置しておいたというわけのものでないこと

(ニ) 更に、(4) については、高橋巡査、伝住部長及び鈴木巡査は、いずれも、原告を六畳間に運んだ際原告はゴム長靴をはいていたと供述しており、特に、伝住部長及び鈴木巡査は、原告を六畳間に上げる際ゴム長靴をぬがせたが、靴の中にはわらが入つていたためぬがすのが面倒だつたと供述しているが、この点は、成立に争いのない甲第七号証中で、原告が、自分がはいていた長靴の中にはわらが敷いてあつたと供述しているところに合致し、このことからすれば、前記大谷医師の供述が真実に合致するとは必ずしも認められないこと

(ホ) なお、(5) については、伝住部長及び鈴木巡査の各供述によれば、取調室に近い部屋は、伝住部長及びその家族の部屋であり、現に問題の時刻には伝住部長の家族が居合せていたが、一方、六畳間にはその時刻に誰も居なかつたことが認められるから、原告を運んで行く部屋に六畳間が選ばれたとしても、それほど異とするには足りないこと

などが存在し、なお、原告が事務室で転倒したことについては、前記のように高橋巡査、伝住部長及び鈴木巡査の各供述が一致し、その間疑惑をさしはさむような相違点も存在せず、また成立に争いのない乙第一四号証及び証人久光麗子の証言によつて明らかなとおり、当時取調室の奥の茶の間に居合せた伝住部長の娘である久光麗子も、右高橋巡査らの供述を裏付ける供述をしていることを併せ考えれば、原告が取調室で自ら転倒した事実を否定することは困難であり、原告は取調室で突如自ら転倒したのち高橋巡査らによつて六畳間へ運ばれたと認定するのが相当である。

二、取調室の転倒以前に、原告が六畳間において高橋巡査から暴行を受けなかつたか。

しかしながら、原告が取調室において自ら転倒した事実があつたとしても、なおそれ以前に六畳間において高橋巡査から暴行を加えられその後再び取調室に連れ戻されたと考える余地のあることは前述したとおりであり、現に原告は、本人尋問の際は、六畳間で高橋巡査から暴行を受けている間に気を失いそれ以後のことは全く記憶がない旨述べているけれども、前掲甲第六、第七、第九及び第一二号証においては、右暴行を受けたのち気が付くと再び取調室の椅子にすわつていた旨供述しているのであるから、更に進んでこの観点から証拠を検討することとする。

(一)  原告が高橋巡査から暴行を受けたことは時間的に説明がつくか。

(1)  この点について、原告は、取調室には伝住部長、高橋巡査及び鈴木巡査がいたが、調べの途中で鈴木巡査は外へ出て行き、伝住部長も食事のため奥の部屋に入つたが、伝住部長が取調室を出たのちに高橋巡査から六畳間に連れ込まれた、その時は薄暗かつたが、電気がついていたかどうかは正確に記憶していないと供述している。

(2)  ところで、鈴木巡査は、原告が高橋巡査に連れ込まれたと主張する六畳間は当時自分が使用していたが、自分は、本件の翌日である一二月二日札幌市の警察学校に入校することになつていたため、本件当日は午後六時一五分頃まで荷造りなどのため同室にいたあと、六時三二分の列車に荷物を積んでもらうため駅に行き午後七時近くに巡査部長派出所にもどつたと供述しており、右供述はこれを措信し得るものと認められるから、同日午後六時一五分質までの間に、六畳間で高橋巡査が原告に暴行を加える余地はなかつたことになり、また原告の供述も、前記のように、高橋巡査から暴行を受けたのは鈴木巡査が外へ出て行つたあとであるというのであるから右六時一五分頃以前は一応判断の対象外として良いと思われる。次に、伝住部長及び鈴木巡査はともに、鈴木巡査が巡査部長派出所にもどつた後において、取調室に原告と高橋巡査だけがいたことはなかつた旨の供述をしており、右供述もこれを措信してよいと思われるから、前記原告の供述に照らし、鈴木巡査が巡査部長派出所にもどつたと認められる同日午後七時前頃以降も、高橋巡査が原告に暴行を加えた時間としては考慮しなくともよいと思われる。

(3)  そこで、鈴木巡査が外出していた同日午後六時一五分頃から同日午後七時前頃までの間に暴行がなされたのではないかということが考えられるわけである。そして、伝住部長は、自分は取調の途中に食事のため五、六分取調室とつづいている自宅の茶の間に赴き、再び取調室に帰つた二〇分位後に鈴木巡査が外から戻つてきたと供述しているから、確かに同日午後六時三〇分頃に少くとも五、六分取調室に原告と高橋巡査だけが残され、従つて高橋巡査が他の者から見とがめられずに原告を六畳間まで連行し暴行を加え得る時間はあつたといわなければならない。

(二)  情況証拠上原告が高橋巡査から暴行を受けたことが認められるか。

そこで、右の時刻頃原告が高橋巡査から暴行を受けたか否かを検討するが、まず、原告の供述を除く情況証拠のうえで原告が暴行を受けたのではないかということを疑わせる点として、

(1)  証人堀内三千弘及び同堀内キクヱの各証言によれば、原告が本件一二月一日夜苦悶の症状がおさまらないままその母キクヱ及びその弟三千弘に伴われて帰宅する途中、柔道で投げられたと口走つている事実が認められること

(2)  証人加藤利右エ門、同吉田ミナ及び同足立毅の各証言によれば、高橋巡査が他の被疑者の取調の機会に相手方である被疑者に暴行、脅迫等に出た疑いが濃厚であること

(3)  前掲堀内三千弘及び同堀内キクヱの各証言によれば、巡査部長派出所から原告の自宅には有線放送による連絡が可能であり、本件以前にもこれを利用して原告方に連絡したことがあつたことが認められるにも拘らず、本件の際には、前記のように原告が取調室で転倒し、次いで巡査駐在所六畳間で医師の手当を受けたことを原告宅に連絡をとらなかつたことが明らかであつて、このことからすれば、当時警察として故意に原告の前記の事態を秘さなければならなかつた事情があつたのではないかとの疑惑も持たれること

などが存在することが認められる。

ところで、原告は、更に、高橋巡査の原告に対する暴行の結果、原告が脳震盪発作のほか第一腰椎圧迫骨折疑又は第九及び第一〇胸椎圧迫骨折による傷害を受けたと主張しているので、本件当日以降において原告に右のような暴行の結果と思われる身体的な徴候が存在したか否かについて考察を加えることとする。

(イ) まず、証人河原宜人の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第一号証には、医師河原宜人が昭和二七年一二月四日付で原告を脳震盪症兼右側胸部打撲傷と診断した旨の記載がある。そして成立に争いのない甲第一四号証によれば、右河原医師が原告を脳震盪症と診断したのは、原告の胸部に打撲傷のあつたこと及び原告の訴えていた頭痛が非常に強かつたことにあると認められる。しかしながら、脳震盪は脳に対する外力の作用によつてもたらされるものであるから、脳に対する外的打撃の有無を確かめず、胸部打撲傷のあることから直ちに脳震盪の存在を推定することはできないと考えられるし、また頭痛も脳震盪に恒常的な所見ではなく、その原因も多く考えられるわけであるから、甲第一号証中原告が脳震盪症であつたとする部分は、俄かに措信できない。一方、成立に争いのない乙第一六号証及び証人相川正義の証言によれば、医師相川正義が本件の翌日である一二月二日午後原告を診断した際、その身体の外表に何ら打撲傷を認めなかつた事実が認められるから、かりに前記河原医師が同月四日原告を診断した際右胸部打撲傷が存在したからといつて、それが本件当日生じたものであると推測することはできないというべきである。

(ロ) 次に、成立に争いのない甲第一一及び第一五号証によれば、医師稲垣勇が昭和二八年四月一日付で原告につき第九及び第一〇胸椎骨折の診断をしていることが認められる。しかしながら取寄にかかる北大附属病院整形外科外来診療録の記載及び成立に争いのない甲第一〇号証によれば、同科において昭和二八年二月一〇日頃原告を診察し胸椎の正面及び側面のレントゲン撮影をした際フイルムには異常を認めていないことが認められ、また前掲甲第一一号証及び成立に争いのない乙第一五及び第一六号証によれば、胸椎骨折をした者が本件において原告が取調室及び六畳間でみせたような暴れ方をすることは不可能であると認められるから、前記甲第一一及び第一五号証の存在によつて原告が本件当日第九及び第一〇胸椎骨折の傷害を受けたと推定することは困難である。

(ハ) また、前掲北大附属病院整形外科外来診療録の記載によれば、同科が同年二月一〇日頃原告に対し第一腰椎圧迫骨折疑の診断をしていることが認められるけれども、一方、鑑定人山田豊治の鑑定の結果によれば、本件後間もなくの昭和二七年一二月一〇日及び一一日に剣淵村国民健康保険直営病院において各撮影した原告の腰椎のレントゲンフイルムにはいずれも異常がないことが認められるから、原告が本件当日第一腰椎圧迫骨折疑の傷害を受けたこともまた疑わしいといわなければならない。

(ニ) なおまた、原告が前記のように取調室において転倒し暴れまわつたのは、その直前に高橋巡査から六畳間において暴行を受けたことが原因になつているのではないかということも一応考えられるわけである。この点について、被告は、原告には発作性の症患があり、原告が取調室で転倒したのもそれが原因であると主張しているけれども、原告に被告が主張するような発作性の疾患があつたということは被告の全立証その他本件の全証拠によつても必ずしも明白ではないのみならず、かりに原告にこのような発作性の症患があつたとしても、本件において、原告が前記のように取調室及び六畳間で暴れまわり、大谷医師の手当で一時は小康の状態を保つたものの派出所から帰宅する途中再び苦悶状態に陥り、その後二日ほど苦悶状態又は興奮状態を続けたことからすれば、原告が取調室で転倒したのが、被告主張のように一過的な発作性の疾患にもとづくものとは到底認められないのであつて、右取調室における転倒後現在までの原告の一連の症状と成立に争いのない乙第一六号証、証人相川正義及び同諏訪望の各証言並びに鑑定人諏訪望の鑑定の結果を総合すると、原告が前記のように取調室で転倒したのは、精神的な原因によつて生じた心因反応にもとづく蓋然性が強いといわなければならない。それならば、右の心因反応を生ぜしめた精神的な原因は高橋巡査から暴行を受けたことではないのかということが問題になるわけであるが、前掲証人相川正義及び同諏訪望の各証言並びに鑑定人諏訪望の鑑定の結果によれば、心因反応は、肉体的な暴行を受けることが精神的な原因となつて生ずることもあるが、単に警察等で尋問追及を受けることが精神的な原因となつて生ずることもあり得、原告についてもこの後者の可能性もあつたと認められ、しかも、本件において、伝住部長及び高橋巡査の各供述によれば、本件当日の原告に対する取調は相当詰問的、追及的であつたことが窺えるから、原告の前記の事態は、伝住部長及び高橋巡査から窃盗被疑事件の尋問、追及を受けることによつて生じたとも考えられ、高橋巡査から暴行を受けたこと以外にその原因が考えられないというわけのものでもないと認められる。

(ホ) なお、以上(イ))ないし(ニ)で問題にした点以外に原告主張の傷害の事実を窺わせる点は存在せず、かえつて、前掲鑑定人山田豊治の鑑定の結果によれば、昭和二七年一二月四日剣淵村国民健康保険直営病院において撮影した原告の肋骨部位、同月一〇日同病院において撮影した原告の肋骨部位、頭部及び大腿部、昭和二八年一月二一日同病院において撮影した原告の胸部、同年二月四日北海道大学精神神経科において撮影した原告の頭部の各レントゲンフイルムにはいずれも異常がないことが認められる。

以上述べたところによれば、原告の供述を除いて高橋巡査の原告に対する暴行の事実を推測させるものとしては、冒頭に述べた(1) ないし(3) の諸点にとどまるといわなければならないが、これらはいずれも原告の供述をはなれて、それだけで高橋巡査の原告に対する暴行の事実を認定させるには不充分であるというべきである。

(三)  原告の供述の信憑性について。

前段に述べたとおり、本件において、原告の供述を除いて高橋巡査が原告に暴行を加えた事実を認定するに足る証拠はない以上、右事実を認定し得るか否かは、結局原告の供述の証拠価値をいかに判断するかにあるといわなければならない。そこで以下はこの点につき慎重に検討を加えることとする。

まず、原告の法務事務官に対する供述(甲第六、第七及び第九号証)、検察官に対する供述(甲第一二号証)及び原告本人としての供述を対比すると、その間に多少の矛盾が認められ、かつ右各供述と他の証拠によつて認められる客観的事実とそごする点があることも明らかである。しかしながら、右各供述の間にそれぞれ相当の年月が経過していること並びに過去の出来事に対する人間の記憶及び追想が必ずしも全面的に正確なものではないことを考えると、右の多少の供述相互間の矛盾、あるいは供述と事実とのそごは、本件において重視することができない。ただ本件において、原告の法務事務官及び検察官に対する各供述が、六畳間で高橋巡査に足払いをかけられたのち再び取調室で椅子にすわらされていた記憶があるとなつているのに対して、原告本人としての供述は、足払いをかけられたのちのことについては記憶がないとなつていることは、単なる日時の経過による記憶のうすれということでは説明できないものを感ずるし、また法務事務官及び検察官に対する各供述が、前記のように再び取調室の椅子にすわらされていたことに気付いてしばらくしてから派出所を出て帰宅したとなつており、前記の取調室で転倒後六畳間に運ばれ大谷医師の手当を受けて睡眠状態に陥り、睡眠から覚めた後再び取調室に起きてきたことに関連する部分を全く含んでいないことにも疑問を持たざるを得ない(もつとも後者の点については、原告が供述しているのは、六畳間における睡眠から覚めて再び取調室にもどつたのちのことであるとの見方もできようが、そのような場合には睡眠から覚めた段階からの記憶があるのがむしろ普通と考えられるし、また、原告の供述する、椅子にすわらされていることに気付いたのちの状況が、高橋巡査、伝住部長及び鈴木巡査の供述する原告が再び取調室にもどつたのちの状況と全く異ることからすれば、このように考えることは困難であろう。)。そして通常の場合には、これらの点は、供述者の供述の悪性に疑問を抱かせる理由となるであろう。しかしながら、本件においては、特に、原告が前記のように本件当日心因反応を起し、かつ右の心因反応の状態は前記各供述当時においても続いていたと認められることを考慮する必要がある。すなわち、原告は心因反応を起した結果、前記のように、本件当日及びその後二日ほどの間に急激な苦悶状態又は興奮状態を示し、それがおさまつた後においても日常仕事もせずぼんやりと日を過すというような無気力な生活を送ることが多くなつたことが認められるのであるが、前掲証人相川正義及び同諏訪望の各証言並びに鑑定人諏訪望の鑑定の結果によれば、心因反応を起した状態においては意識の昏濁を伴うことが多く、かつ心因反応の結果原告のように無気力な生活を送つている者は、人格全体の水準も低く記憶力もぼんやりしていると認められるのであつて、このことを考慮するならば、前記の原告の供述に関する疑問点は、通常の場合のように原告の供述の信憑性に疑問を抱かせる理由とはなり得ないと解すべきである。

そして、右に述べたことを前提として原告の供述をみると、当裁判所は、原告の供述が自ら経験した者でなければ述べ得ず、従つて、原告の供述しているところはまさしく真実ではないかという印象を強く受けるのである。もとより「自ら経験した者でなければ述べ得ない」ことであるかどうかの判断は、供述者の供述当時の経験内容、思考及び想像力の程度、精神状況等を勘案して極めて慎重でなければならず、従つて単に具体的事実を示して供述しているからといつて、直ちにそれが自ら経験した者の供述であると断定することのできないことはいうまでもないところである。しかしながら、本件において、原告の供述内容中特に次の諸点、すなわち、

(1)  原告は、前掲甲第六、第七、第九及び第一二号証において、「高橋巡査から三回位足払いをかけられているうち気を失い、気がつくと再び事務室の椅子にすわらされていたが、気持が悪くなり外へ出ていつて吐いた。」と供述しているのであるが、高橋巡査もまた、「原告は椅子にすわつている間に吐気がすると言つて外に出ていつたことがある。」と供述していること

(2)  次に、原告は、前掲甲号各証及び原告本人としての供述において、高橋巡査から、暴行を受けた際「お前は足立から柔道を習つているそうだが、俺が一寸締めてやる。」と言われた旨供述しているところ、証人足立毅の証言によれば、原告は、本件以前に同部落に居住していた訴外足立毅から一年位柔道を習つたことがあり、しかも同訴外人と高橋巡査は、本件当時感情的に対立している関係にあつたと認められること

(3)  また、原告が前掲甲号各証及び原告本人としての供述中において述べている、原告が連れ込まれたとする六畳間の模様は、鈴木巡査の供述によつて窺うことのできる本件当時の六畳間の状況と相当強い類似性を有すること

等を考慮し、更に前記認定のように、原告が本件当夜苦悶がおさまらない状態においてすでに母キクヱ及び弟三千弘に対して、柔道で投げられたと口走つている事実を併せ考えると、原告の供述は、部分的には必ずしも事実と一致しない面のあることは前記のとおりであるけれども、高橋巡査から六畳間に連れ込まれ、請求原因記載のような言辞を申し向けられたうえ同記載のような暴行を受けたとする大淵においてはこれを措信し得るものと認められる。右認定に反する高橋巡査の供述は、これを措信することができず、また伝住部長及び鈴木巡査の各供述は右認定に矛盾するものとは認められない。

もつとも、本件において、高橋巡査が六畳間において原告に前記のような暴行を加えたとすることについては、次の諸点が問題となり得ないでもない。

(1)  鈴木巡査は、午後七時近くに部長派出所にもどり取調室の内部に入ろうとすると原告が取調室のドアを背にして椅子にすわつていたので、椅子をずらせてもらつて中に入つたが、その際原告の様子に異常は認められなかつたと供述しており、伝住部長もこれと同旨の供述をし、なお原告は、再びもとの位置に椅子をもどしてすわつた旨供述しているのであるが、もし、原告がその直前に高橋巡査から意識不明になるほどの暴行を受けた状態にあつたとするならば、鈴木巡査及び伝住部長に異常を感じさせることなく前記のような行動をとり得たかという疑問が生ずること、また同様に、右のような状態にあつた原告がその後間もなく前記のように転倒した際伝住部長と鈴木巡査が二人がかりで押えつけなければならなかつたほど暴れることができたかということについても疑問が残ること

(2)  鈴木巡査は、自分が駅へ出かけたときの六畳間の状況と、帰つてきたのち取調室で転倒した原告を運び込んだときのそれとは全然変つていなかつたように思うと供述しているが、もし高橋巡査が原告に右六畳間で暴行を加えたならば、当時部屋においてあつたと認められるトランク等の位置に多少変化を来すのではないかと思われること

(3)  伝住部長は、六畳間で物音がした場合取調室の奥に続いている自宅の部屋でもそれを聞くことができるが、本件当日食事のため自宅に赴いているときには六畳間の方で物音はしなかつたとの趣旨の供述をしていること

などの諸点である。

しかしながら、他方、

(イ) (1) の点については、原告が六畳間で高橋巡査から暴行を受けた結果意識を喪失したとしても、その際骨折等の傷害を受けない限り、再び取調室に連れ戻され意識を回復した後において、(1) 記載のような行動をとることは必ずしも不可能ではないと認められるし、また後記のように、原告は高橋巡査から暴行を受けたため心因反応を起して意識昏濁の状態にあつたけれども行動能力は失われていなかつたと考える余地もあるのであつて、この場合には原告が前記のような行動をとつたとしても異とするには足りぬこと

(ロ) (2) の点については、原告は、高橋巡査から暴行を受けたのは、六畳間とその奥との境附近であると供述しており、右供述のように、高橋巡査の原告に対する暴行が場所を移動することなく六畳間と隣室の八畳間の境附近で行われたとするならば、部屋にあつたトランク等の位置に目立つような変化を与えないということは有り得るとは思われること

(ハ) (3) の点については、検証の結果(第二回)によれば、六畳間で足払いをかけられた場合の物音が当然伝住部長の居宅の部屋まで達したかは極めて疑問であると認められるから、前記伝住部長の供述は、必ずしもそのまま措信することはできないこと

等を考慮すると、(1) ないし(3) の諸点は、前記のように認定することを妨げる事由とはなり得ず、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。

(傷害の事実の有無)

そこで進んで、前記認定の暴行によつて、原告が請求原因記載のような傷害を受けたか否かにつき、考えるに、まず原告の供述を除いた証拠によつては、請求原因記載の脳震盪、第一腰椎圧迫骨折疑並びに第九及び第一〇胸椎圧迫骨折の各傷害の事実を認定できないことは前記のとおりであり、かつこれに原告の供述を加えても、第一腰椎圧迫骨折疑並びに第九及び第一〇胸椎圧迫骨折の各傷害の事実はこれを認めるには足りない。しかしながら、原告の供述中に、高橋巡査から暴行を受けて意識が喪失し、意識回復直後において嘔吐をもよおしたとする部分が存し、かつ嘔吐の点については高橋巡査もこれを裏付ける供述をしていることは前記のとおりであるところ、外力直後の意識喪失及び嘔吐は、脳震盪に通常見受けられる症状のなかでも主要なものと解されるから、右原告の供述によれば、原告が高橋巡査から暴行を受けた結果脳震盪を起したと推定することができないわけでもない。しかしながら、他方、

(1)  原告の供述によれば、原告は本件当時柔道の心得があつたと認められるが、かように柔道の心得がある者が足払いをかけられて頭部を打つような転倒の仕方をするかどうかには疑問があり、また原告自身も、足払いをかけられることによつて腰のあたりは打つたけれども頭部を打つた記憶はないと供述していること

(2)  前記のように、肉体的な暴行を受けることが精神的原因となつて心因反応を起す可能性がある以上、原告が高橋巡査から暴行を受けることによつて直ちに心因反応を起したということも考えられないことではなく、かつ心因反応を起した場合に意識の昏濁を伴いやすいことも前記のとおりであるから、原告の訴えている暴行による意識喪失は、心因反応を起したことによる意識の昏濁とも考えられるし、また同様に原告の訴えている嘔吐も右の心因反応の結果であるとみる余地もあること

(3)  高橋巡査が脳震盪の結果意識を喪失した状態にある原告を伝住部長その他の者の目につきやすい取調室に連れ戻し、伝住部長も原告の意識喪失状態に気付かなかつたと考えることは、やや不自然であり、原告は足払いをかけられることによつて心因反応を起し意識昏濁の状態にあつたけれども、なお意識の喪失は来さず行動能力も失われていなかつたため、高橋巡査は、原告を再び取調室に連れ戻し、このため伝住部長も原告の異常に気がつかなかつたとみる余地もあり、むしろその方が自然であると考えられること

などを考慮すると、原告が高橋巡査から暴行を受けた結果脳震盪を起したとするについてもこれを認めるに足る証拠はないといわなければならない。

(認定できる事実)

結局本件請求原因事実中認定できるのは、争いのない事実を除いては、本件一二月一日午後六時三〇分頃高橋巡査が、同巡査と原告と二人だけが取調室に取残された間に原告を六畳間に連れ込み、請求原因記載のような言辞を申し向けて同記載のような暴行を加えたことにとどまるといわなければならない。しかしながら、これが高橋巡査の原告に対する不法行為を構成することは明らかであり、かつ右不法行為が高橋巡査の職務の執行につきなされたものであることもすでに述べたところから明らかであるので、被告国は、国家賠償法第一条の規定にもとづき、右高橋巡査の暴行によつて原告の蒙つた損害を賠償する責任があるといわなければならない。

(損害額の判断)

そこで更に、原告の蒙つた損害額について考察するに、

一、まず原告の将来労働によつて得べかりし利益については、原告は何らその立証をしないから、この点に関する原告の主張はすべて認めることができない。

二、次に、原告の支出した治療費について考えるに、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる甲第二号証の一ないし六、同第三号証、同第四号証の一及び同第五号証の一ないし八によれば、原告は、高橋巡査から暴行を受けることが原因となつて生じた心因反応の症状につき、その原因の発見及び治療のため、昭和二七年一二月三日から昭和二八年二月二四日まで合計二三、一六四円の支払をしたことが認められるから、原告の治療費の請求は、右認定の限度において正当である。

三、次に、慰謝料の額につき考えるに、本件は前記のように窃盗被疑事件取調のため任意出頭した原告を高橋巡査が取調べた機会に生じたものであるが、高橋巡査、伝住部長及び原告の各供述によれば、右の窃盗被疑事件は原告が三年前にガツチヤ(荷物の締道具)一個及び鎖四本を盗んだという内容であり、しかも原告は、右事件のため本件当日以前に七月頃及び一一月二九日頃それぞれ任意出頭を求められ取調を受けていることが認められるのである。もとより、社会公安の維持の任に当る警察官としては、犯罪の嫌疑があつた場合には、たとえそれが簡単な事案であつてもその捜査をゆるがせにしてはならないことは当然であろうが、一方、その捜査の方法及び程度は、事件の内容及び事件発生以来の日時の経過等によつて自ら差異があるべきこともまた当然であつて、本件のように三年前のガツチヤ一個及び鎖四本の窃盗について相当期間にわたつて再三出頭を要請したうえ、本件当日のように夕食の時刻に差がかつたにも拘らず、引続き夜間まで取調を続けたこと(しかも、伝住部長及び高橋巡査の各供述によれば、本件当日原告は顔色が悪く気分もすぐれない様子であつたことが窺える。)は、妥当を欠く措置というのほかなく、しかも前記認定のように被疑者である原告を別室に連れ込み暴行を加えるにいたつては、はなはだしく行過ぎた捜査方法といわなければならず、このことによつて原告の蒙つた精神的苦痛が極めて大きかつたことは、前記認定のように原告がこのことが原因となつて心因反応を起したことによつても明らかである。そして鑑定人諏訪望の鑑定の結果によれば、右心因反応は、現在も治癒するにいたつておらず、かつ将来も治癒する見込が極めて少いことが認められるのである。その他、本件暴行の程度、原告の年令、本件当時及び現在の原告の生活状況、事件発生後現在までの日時の経過など諸般の事情を考慮すると、原告の糖神的苦痛に対する慰謝料の額は三〇万円をもつて相当と認める。

(結論)

以上述べたところによれば、原告の本訴請求は、前記治療費と慰謝料の合計三二三、一六四円とこれに対する本訴状送達の翌日であることが記録上明白な昭和三〇年三月一五日から支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であるから、これを認容し、これを超える部分は失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 高林克己 清水次郎 小林充)

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